医療機関を狙うサイバー攻撃が急増している現実
栃木県警が開催したサイバー攻撃対策セミナーが話題になっていますが、これは決して他人事ではありません。実際に栃木県内では2月に宇都宮市のクリニックがランサムウェア攻撃を受けており、医療機関を狙ったサイバー攻撃は全国的に深刻な問題となっています。
現役のCSIRT(Computer Security Incident Response Team)として数多くの医療機関のインシデント対応に携わってきた経験から言えることは、医療機関は特に狙われやすいターゲットだということです。その理由は明確で、患者の個人情報や医療データという機密性の高い情報を大量に保有している上、システム停止が人命に直結するため、攻撃者にとって「確実に身代金を支払ってもらえる相手」と認識されているからです。
なぜ医療機関がサイバー攻撃の標的になるのか
1. 高価値データの保有
医療機関が保有する患者データは、ダークウェブでの取引価格が一般的な個人情報の10倍以上になることもあります。診療記録、検査結果、保険情報などは、攻撃者にとって非常に価値の高い情報です。
2. システム停止の影響の大きさ
医療機関のシステムが停止すると、患者の治療に直接影響します。手術の延期、検査結果の参照不可、薬の処方ができないなど、生命に関わる事態が発生するため、医療機関は攻撃者の要求に応じる可能性が高いと判断されています。
3. セキュリティ対策の遅れ
多くの医療機関では、医療行為に専念するあまり、ITセキュリティ対策が後回しになりがちです。古いシステムの使用、パッチの未適用、従業員のセキュリティ意識の低さなど、攻撃者にとって侵入しやすい環境が整っています。
実際のランサムウェア攻撃事例と被害状況
栃木県宇都宮市のクリニック事例
2024年2月に発生した宇都宮市のクリニック被害では、ランサムウェアによってシステム全体が暗号化され、診療業務が一時的に停止しました。このような攻撃では、以下のような被害が発生します:
- 電子カルテシステムの使用不能
- 予約システムの停止
- 検査機器との連携不具合
- レセプト処理の遅延
- 患者情報の流出リスク
全国の医療機関での被害傾向
私がフォレンジック調査で関わった事例では、攻撃の初期侵入経路として以下のパターンが多く見られます:
- 標的型メール攻撃(40%):職員宛に巧妙に偽装されたメールから感染
- VPN脆弱性の悪用(25%):リモートワーク用VPNの設定不備を突かれる
- Webサイトの脆弱性(20%):病院のWebサイトから内部ネットワークへ侵入
- USB等の物理媒体(15%):感染したUSBメモリの持ち込み
医療機関が今すぐ実践すべきセキュリティ対策
基本的な防御策
1. バックアップの3-2-1ルール実践
- 3つのバックアップコピーを作成
- 2つの異なる媒体に保存
- 1つはオフサイト(物理的に離れた場所)で保管
この際、バックアップデータの暗号化と定期的な復旧テストが重要です。実際に復旧できなければ意味がありません。
2. エンドポイント保護の強化
すべてのパソコンやタブレットにアンチウイルスソフト
を導入し、リアルタイム監視を有効にしてください。特に医療機関では、以下の機能が重要です:
- ランサムウェア専用検知機能
- 不審な暗号化処理の監視
- 未知のマルウェア検知(ヒューリスティック分析)
- USB等外部デバイスの制御
3. ネットワーク分離とアクセス制御
医療機関のネットワークは以下のようにセグメント化することをお勧めします:
- 電子カルテ系システム(最高機密レベル)
- 医療機器ネットワーク(IoT医療機器用)
- 事務系システム(受付・会計等)
- インターネット接続系(メール・Web閲覧用)
リモートアクセスのセキュリティ強化
新型コロナウイルス感染症の影響でリモートワークが普及した医療機関では、VPN
の導入が必須です。特に以下の点に注意してください:
- 医療従事者の自宅からのアクセス時の暗号化
- 公衆Wi-Fi利用時のデータ保護
- 地理的制限による不正アクセス防止
- ログ監視による異常検知
Webサイト経由の攻撃を防ぐ対策
医療機関のWebサイトは患者の予約受付や情報提供の重要な窓口ですが、同時にサイバー攻撃の入り口にもなりやすいのが現実です。
Webサイトの脆弱性が狙われる理由
- 患者情報データベースへの直接アクセス経路
- 内部ネットワークへの侵入足がかり
- フィッシングサイトとしての悪用
- マルウェア配布サイトへの改ざん
このような攻撃を防ぐには、Webサイト脆弱性診断サービス
による定期的なセキュリティチェックが不可欠です。特に以下の脆弱性の確認が重要です:
- SQLインジェクション攻撃への耐性
- クロスサイトスクリプティング(XSS)対策
- 不正なファイルアップロード防止
- 認証システムの強度確認
- SSL/TLS設定の適切性
従業員のセキュリティ意識向上が最重要
標的型メール攻撃への対策
実際のインシデント対応で最も多く遭遇するのが、職員が不審なメールを開いてしまうケースです。以下のような訓練が効果的です:
- 模擬フィッシングメールによる訓練
- 添付ファイルの安全な開き方の教育
- 送信者確認の重要性の周知
- インシデント発生時の報告手順の徹底
パスワード管理の徹底
- 複雑なパスワードの設定(12文字以上推奨)
- 多要素認証(MFA)の導入
- パスワード管理ツールの活用
- 定期的なパスワード変更
サイバー防災訓練の実施方法
シナリオベースの訓練
栃木県警も実施している「シナリオを使った訓練」は非常に効果的です。以下のようなシナリオで定期的に訓練を行うことをお勧めします:
- ランサムウェア感染発覚時の対応
- 感染端末の即座な隔離
- ネットワークからの切り離し
- バックアップデータの確認
- 関係者への連絡
- 患者データ流出疑惑への対応
- 影響範囲の特定
- 患者への通知準備
- 報告機関への連絡
- メディア対応の準備
- システム障害発生時の業務継続
- 紙ベースでの診療継続
- 他院との連携体制
- 復旧作業の優先順位決定
- 患者への説明対応
AI技術を活用した次世代防御システム
専門家の植木あきおさんも言及していたAI技術を活用した防御について、実際に医療機関で効果を上げている手法をご紹介します。
機械学習による異常検知
- 通常時のネットワークトラフィック パターンを学習
- 異常な通信パターンの自動検知
- 未知の攻撃手法への対応
- False Positive(誤検知)の削減
行動分析による内部脅威検知
- 職員の通常業務パターンの分析
- 異常なデータアクセスの検知
- 権限外操作の監視
- データ持ち出し行為の検知
インシデント発生時の対応手順
初動対応(発覚から1時間以内)
- 感染端末の即座なネットワーク切断
- 被害範囲の初期確認
- セキュリティベンダーへの緊急連絡
- 経営陣への第一報
- 証拠保全の開始
本格対応(1時間~24時間)
- フォレンジック調査の開始
- 被害範囲の詳細確認
- システム復旧計画の策定
- 関係機関への報告
- 患者・職員への連絡準備
復旧・事後対応(24時間以降)
- システムの段階的復旧
- 患者への影響評価と対応
- 再発防止策の検討・実装
- 職員への教育・訓練強化
- セキュリティ体制の見直し
費用対効果を考慮したセキュリティ投資
中小規模の医療機関では予算の制約もありますが、以下の優先順位で対策を進めることをお勧めします:
最優先対策(予算:月額3万円程度)
- アンチウイルスソフト
の全端末導入
- 自動バックアップシステムの構築
- 職員向けセキュリティ教育の実施
次優先対策(予算:月額5万円程度)
- VPN
によるリモートアクセス保護
- 多要素認証システムの導入
- ネットワーク監視システムの設置
長期投資対策(予算:月額10万円程度)
- Webサイト脆弱性診断サービス
による定期的脆弱性診断
- AI技術を活用した高度な脅威検知システム
- 専門業者による24時間監視サービス
まとめ:継続的な改善が鍵
医療機関のサイバーセキュリティは「一度対策すれば終わり」ではありません。攻撃手法は日々進化しており、継続的な改善と対策の見直しが必要です。
重要なのは以下の3点です:
- 基本対策の徹底:アンチウイルスソフト
、VPN
、Webサイト脆弱性診断サービス
など、基本的なセキュリティツールの適切な運用
- 人的教育の継続:職員のセキュリティ意識向上と定期的な訓練
- 専門家との連携:警察やセキュリティベンダーとの継続的な情報共有
栃木県警のような取り組みは非常に有益ですが、それぞれの医療機関が主体的にセキュリティ対策を講じることが最も重要です。患者の安全と信頼を守るため、今すぐできることから始めてみてください。