医療業界を震撼させた不正アクセス事件の全貌
2024年8月25日、医療機関・介護事業者向けサービスを提供するアクリーティブ株式会社が、同社ネットワークへの不正アクセス被害を発表しました。この事件は、医療業界のサイバーセキュリティの脆弱性を改めて浮き彫りにした重要な事例として注目されています。
現役CSIRTとして多くの医療機関のインシデント対応に携わってきた経験から言えるのは、この種の攻撃は決して「他人事」ではないということです。医療機関は今や、最も狙われやすいターゲットの一つになっているのが現実です。
事件の詳細と現在の状況
アクリーティブ社では、不正アクセスの発覚と同時にシステム障害が発生し、全社対策本部を設置して対応にあたっています。外部専門家の助言を受けながら、以下の項目について緊急調査を実施中です:
- 影響範囲の特定
- 個人情報の漏洩有無
- 顧客情報を含む重要データの流出確認
- システム復旧への対応策
この対応パターンは、医療機関へのサイバー攻撃における典型的なフォレンジック調査の流れと一致しており、攻撃者が医療データの価値を十分理解していることを示唆しています。
なぜ医療機関がサイバー攻撃のターゲットになるのか
フォレンジック調査の現場で見えてきた、医療機関が狙われる主な理由をお話ししましょう。
1. 高価値なデータを保有している
医療機関が保有する個人情報は、ダークウェブでの取引価格が一般的な個人情報の10~50倍と言われています。患者の氏名、住所、診療履歴、さらには社会保障番号など、なりすましに必要な情報が一箇所に集約されているためです。
実際に私が対応した案件では、クリニックから流出した3,000件の患者データが、1件あたり200ドルで取引されていた事例もありました。
2. セキュリティ対策が後回しになりがち
医療現場では「患者の命を救う」ことが最優先されるため、ITセキュリティへの投資が後回しになることが多いのが実情です。また、医療従事者のITリテラシーにばらつきがあることも、攻撃者にとって好都合な状況を作り出しています。
3. システムの複雑性と連携の多さ
現代の医療機関では、電子カルテシステム、医療機器、予約システム、会計システムなど、多数のシステムが相互に連携しています。この複雑なネットワーク構成が、攻撃者にとって侵入経路を増やす結果となっています。
医療機関を狙った攻撃手法の最新動向
ランサムウェア攻撃の巧妙化
近年、医療機関を標的としたランサムウェア攻撃が急増しています。攻撃者は医療現場の「システム停止が患者の生命に直結する」という特性を悪用し、高額な身代金を要求するケースが増えています。
私が対応した地方病院の事例では、ランサムウェアによってすべての電子カルテシステムが暗号化され、手術の延期を余儀なくされました。最終的に復旧まで2週間を要し、経営に深刻な影響を与えました。
APT攻撃による長期潜伏
高度で持続的な脅威(APT: Advanced Persistent Threat)による攻撃では、攻撃者が数ヶ月から数年にわたってシステム内に潜伏し、継続的にデータを窃取する手法が使われています。
サプライチェーン攻撃
医療機関が直接狙われるのではなく、医療機関向けソフトウェアベンダーや医療機器メーカーが攻撃され、その結果として複数の医療機関が同時に被害を受けるケースも増加しています。
個人レベルでできる基本的なセキュリティ対策
医療従事者や医療機関で働く方々が、日常業務で実践できる基本的な対策をご紹介します。
1. 強固なパスワード管理の徹底
- 各システムごとに異なる複雑なパスワードを設定
- 定期的なパスワード変更(最低でも3ヶ月に1回)
- パスワード管理ツールの活用
2. フィッシングメール対策
医療機関を狙ったフィッシングメールは、製薬会社や保険会社を装ったものが多く見られます。以下の点に注意してください:
- 送信者のメールアドレスを必ず確認
- 緊急性を煽る内容には特に注意
- 添付ファイルやリンクをクリックする前の確認徹底
3. 個人用デバイスでの対策
在宅勤務やテレワークが増える中、個人のデバイスからも医療システムにアクセスする機会が増えています。アンチウイルスソフト
を導入し、常に最新の脅威から身を守ることが重要です。
また、公衆Wi-Fiを使用する際は、VPN
を必ず利用して通信を暗号化しましょう。医療データの機密性を考えると、これは必須の対策です。
医療機関が実装すべき組織的セキュリティ対策
1. 多層防御の実装
単一の対策に頼るのではなく、以下のような多層的な防御策を組み合わせることが重要です:
- ファイアウォールの適切な設定
- 侵入検知・防止システム(IDS/IPS)の導入
- エンドポイント保護の強化
- ネットワーク分離(セグメンテーション)
2. アクセス制御の厳格化
- 最小権限の原則に基づいたアクセス権限の付与
- 多要素認証(MFA)の全面的な導入
- 特権アカウントの管理強化
- 定期的なアクセス権の見直し
3. 定期的な脆弱性評価
医療機関のWebサイトやシステムの脆弱性を定期的に評価することで、攻撃者より先に弱点を発見し、修正することができます。Webサイト脆弱性診断サービス
を活用することで、専門的な脆弱性診断を受けることが可能です。
インシデント発生時の対応体制構築
事前準備の重要性
アクリーティブ社の事例のように、不正アクセスが発生した際に迅速かつ適切に対応するためには、事前の準備が欠かせません:
- インシデント対応計画書の策定
- 対策本部設置の手順書作成
- 外部専門家との連携体制構築
- 関係者への連絡体制確立
フォレンジック調査の準備
インシデント発生時には、以下の情報を迅速に収集できる体制を整えておくことが重要です:
- ログの保管と分析体制
- ネットワークトラフィックの監視
- システムイメージのバックアップ
- 証拠保全の手順
医療業界全体でのセキュリティ向上に向けて
情報共有の重要性
医療業界では、セキュリティインシデントに関する情報共有が他の業界に比べて進んでいない現状があります。しかし、アクリーティブ社のような事例を教訓として、業界全体でのセキュリティレベル向上に取り組む必要があります。
継続的な教育・訓練
医療従事者向けのサイバーセキュリティ教育を定期的に実施し、最新の脅威情報や対策について共有することが重要です。また、実際のインシデントを想定した演習も効果的です。
規制・ガイドラインの遵守
医療分野におけるサイバーセキュリティは、以下のような規制やガイドラインに準拠することが求められています:
- 個人情報保護法
- 医療情報システムの安全管理に関するガイドライン
- サイバーセキュリティ経営ガイドライン
中小規模医療機関でも実現可能な現実的対策
大規模病院と異なり、限られた予算とリソースの中で運営される中小規模の医療機関では、現実的で効果的な対策を選択することが重要です。
優先度の高い基本対策
- バックアップ体制の確立:定期的なデータバックアップと復旧テストの実施
- 基本的なセキュリティソフトの導入:すべての端末にアンチウイルスソフト
を導入
- スタッフ教育の実施:月1回のセキュリティ勉強会の開催
- アップデート管理:OS、ソフトウェア、セキュリティパッチの定期更新
段階的な対策強化
基本対策が定着した後、段階的に以下のような対策を追加していくことを推奨します:
- ネットワーク監視システムの導入
- 多要素認証の段階的導入
- Webサイト脆弱性診断サービス
による定期的な脆弱性診断
- インシデント対応体制の構築
今後の医療セキュリティ動向予測
AIを活用した攻撃の増加
人工知能技術の発達により、より巧妙で自動化されたサイバー攻撃が増加することが予想されます。医療機関でも、AI技術を活用した防御策の検討が必要になるでしょう。
IoT医療機器のセキュリティ課題
医療現場でのIoTデバイスの普及に伴い、これらのデバイスを狙った攻撃も増加することが予想されます。機器導入時のセキュリティ評価が重要になります。
テレヘルスの普及とセキュリティ課題
COVID-19以降加速したテレヘルスの普及により、新たなセキュリティリスクが生まれています。リモート診療時の通信セキュリティ確保が重要な課題となっています。
まとめ:継続的なセキュリティ向上への取り組み
アクリーティブ社への不正アクセス事件は、医療業界全体にとって重要な警鐘となりました。サイバー攻撃は日々進化しており、一度対策を講じれば安全というものではありません。
現役CSIRTとしての経験から強く言えるのは、セキュリティは「コスト」ではなく「投資」であるということです。適切な対策を講じることで、将来的な大きな損失を防ぐことができます。
個人レベルではアンチウイルスソフト
やVPN
の活用から始まり、組織レベルではWebサイト脆弱性診断サービス
による定期的な脆弱性評価まで、段階的にセキュリティレベルを向上させていくことが重要です。
医療機関のセキュリティ向上は、患者の個人情報保護だけでなく、医療サービスの継続性確保という観点からも極めて重要です。今回の事例を教訓として、業界全体でのセキュリティ意識向上と対策強化に取り組んでいく必要があります。
一次情報または関連リンク
アクリーティブ株式会社、ネットワークへの不正アクセスについて発表