企業のDX化が加速する中、ソフトウェアの脆弱性を狙ったサイバー攻撃が深刻な問題となっています。2024年だけでも、私たちCSIRTが対応したインシデント事例を振り返ると、多くの企業がソフトウェアの脆弱性管理不備により甚大な被害を受けています。
そんな中、日本政府が「SBOM(エスボム、ソフトウェア部品表)」に関する国際共同ガイダンスに署名したニュースが注目を集めています。この記事では、現役のフォレンジックアナリストとして、SBOMの重要性と実際の被害事例を交えながら、企業が今すぐ取るべきセキュリティ対策について解説します。
SBOM(ソフトウェア部品表)とは何か?
SBOM(Software Bill of Materials)は、ソフトウェアの構成要素を詳細に一覧化した文書です。まるで製品の部品表のように、使用されているライブラリ、フレームワーク、オープンソースコンポーネント、そしてそれらのバージョン情報や既知の脆弱性情報まで包括的に記載されています。
今回の国際ガイダンスには、日本を含む15カ国のサイバーセキュリティ関係当局が署名しました。内閣官房国家サイバー統括室と経済産業省が日本から参加し、世界的なセキュリティ基準の統一に向けた重要な一歩となっています。
なぜ今SBOMが注目されるのか
近年、ソフトウェア開発におけるサプライチェーンは複雑化の一途を辿っています。一つのアプリケーションに数百、時には数千ものオープンソースソフトウェア(OSS)コンポーネントが組み込まれることも珍しくありません。
私が関わったある中小企業の事例では、WebアプリケーションにLog4jという広く使われるログ処理ライブラリの脆弱なバージョンが含まれていました。企業側はその存在すら把握しておらず、結果として攻撃者にシステムへの不正侵入を許してしまったのです。顧客データ約3万件が漏洩し、事業継続に深刻な影響を与えました。
SBOMがもたらす4つの重要なメリット
国際ガイダンスでは、SBOMの導入によって得られる具体的なメリットが4つ示されています。
1. ソフトウェア脆弱性管理の効率化
従来の脆弱性管理では、システム全体を手動で調査する必要がありました。しかし、SBOMがあれば、新たな脆弱性が公表された際に、影響を受けるコンポーネントを即座に特定できます。
実際に、ある製造業の企業では、SBOMを導入後、重要な脆弱性への対応時間を従来の2週間から2日まで短縮できました。この迅速な対応により、潜在的なサイバー攻撃を未然に防ぐことができています。
2. サプライチェーンリスクの管理
ソフトウェアサプライチェーン攻撃は、近年最も危険な脅威の一つです。攻撃者は信頼されたソフトウェアベンダーを侵害し、そこから多数の顧客企業に影響を与えます。
2020年のSolarWinds事件では、18,000以上の顧客が影響を受けました。もしSBOMが普及していれば、影響範囲の特定と対策がより迅速に行えたでしょう。
3. ソフトウェア開発プロセスの改善
開発チームがSBOMを活用することで、使用しているコンポーネントの健全性を継続的に監視できます。古いバージョンや非推奨のライブラリの使用を早期に発見し、計画的なアップデートが可能になります。
4. ソフトウェアライセンス管理の効率化
オープンソースコンポーネントには様々なライセンス条件があります。SBOMを利用することで、ライセンス違反のリスクを回避し、コンプライアンス要件を満たすことができます。
実際のサイバー攻撃事例から学ぶSBOMの必要性
フォレンジック調査の現場では、多くの企業が「何が攻撃されたのかわからない」という状況に陥ります。
事例1: ECサイト運営会社のケース
ある小規模ECサイト運営会社では、Webサイトが突然改ざんされ、顧客のクレジットカード情報が盗まれる事件が発生しました。調査の結果、3年前から更新されていないWordPressプラグインの脆弱性が悪用されていることが判明。
もしSBOMが整備されていれば、使用中のプラグインとそのバージョンが一目で分かり、定期的なセキュリティチェックによって被害を防げた可能性が高いでしょう。
事例2: 製造業の工場システム侵害
製造業の工場では、生産管理システムにランサムウェア攻撃を受け、1週間の生産停止に追い込まれました。攻撃の入り口は、システムに組み込まれた古いバージョンのApache Strutsフレームワークでした。
この企業はシステムの全体像を把握できておらず、脆弱性への対策が後手に回ってしまったのです。復旧に2,000万円以上の費用がかかり、取引先への影響も深刻でした。
企業が今すぐ取るべきセキュリティ対策
SBOMの本格的な普及にはまだ時間がかかりますが、企業は今すぐにでもできる対策があります。
個人・小規模事業者向けの対策
個人や小規模事業者の方は、まず基本的なセキュリティ対策から始めることが重要です。信頼できるアンチウイルスソフト
を導入し、定期的なシステムアップデートを心がけましょう。
また、リモートワークやオンライン決済を利用する際は、通信経路の暗号化のためにVPN
の使用を強く推奨します。これにより、中間者攻撃や通信傍受のリスクを大幅に軽減できます。
企業向けの包括的対策
企業規模のセキュリティ対策では、より専門的なアプローチが必要です。特にWebサイトやWebアプリケーションを運営している企業には、定期的なWebサイト脆弱性診断サービス
を実施することを強く推奨します。
このサービスでは、システムに潜む脆弱性を専門家が詳細に調査し、具体的な対策方法まで提案してくれます。SBOMが普及するまでの間、このような専門的な診断サービスが企業の安全を守る重要な手段となるでしょう。
セキュア・バイ・デザインの重要性
今回のガイダンスでは「セキュア・バイ・デザイン」という概念も強調されています。これは、システムや製品の企画・設計段階からセキュリティ対策を組み込む設計思想です。
従来の「後付けセキュリティ」から脱却し、最初からセキュリティを考慮した開発を行うことで、より堅牢で安全なシステムを構築できます。SBOMは、この設計思想を実現するための重要なツールなのです。
今後の展望と企業への影響
国際ガイダンスの署名は始まりに過ぎません。今後は技術的な詳細を具体化したガイダンスの策定が進み、業界標準として確立されていくでしょう。
企業にとっては、将来的にSBOMの提供や活用が取引の前提条件となる可能性があります。早期からSBOMに対応することで、競争優位性を確保し、顧客からの信頼を獲得することができるでしょう。
まとめ:今こそ行動を起こすとき
サイバー攻撃の脅威は日々進化しており、従来の対策では対応しきれない状況となっています。SBOMという新しい手法が注目される中、企業は待っているだけでなく、今できることから始める必要があります。
個人事業主から大企業まで、規模に応じた適切なセキュリティ対策を講じることが、デジタル時代を生き抜く上で欠かせない要素となっています。
現役のCSIRTメンバーとして、一つ確実に言えることは、「対策を講じるのに早すぎることはない」ということです。明日あなたの会社がサイバー攻撃の標的になる可能性は、決してゼロではないのですから。