2025年6月、プレスリリース配信大手のPR TIMESが発表した追加セキュリティ対策は、まさに現代のサイバー攻撃の深刻さを物語る事例です。同社は2025年4月に発生した不正アクセスにより、最大90万件超の個人情報と1600件超の未発表プレスリリースが漏洩する可能性があると公表しました。
フォレンジック調査の現場で数多くのサイバー攻撃被害を目の当たりにしてきた私の経験から言えば、この規模の情報漏洩は決して他人事ではありません。実際、個人や中小企業を狙った攻撃は年々巧妙化しており、「うちは小さな会社だから狙われない」という認識は非常に危険です。
PR TIMES事件から見える攻撃の手口と影響
今回の事件では、攻撃者が社内サーバーに不正アクセスを行い、大量の機密情報を窃取しました。特に注目すべきは、未発表のプレスリリース1600件超が含まれていた点です。これは企業の競争力に直結する情報であり、悪用されれば計り知れない経済的損失をもたらします。
私がこれまで担当した中小企業のフォレンジック調査では、似たような手口で以下のような被害が確認されています:
- 顧客データベースの完全コピー(個人情報保護法違反のリスク)
- 会計システムへの侵入による財務情報の窃取
- メールサーバーの乗っ取りによる取引先への詐欺メール送信
- ランサムウェアによるシステム全体の暗号化
特に印象的だったのは、従業員20名程度の製造業A社のケースです。攻撃者は一見無害に見えるフィッシングメールから侵入し、3ヶ月間にわたって社内システムに潜伏。最終的に取引先リストや製品設計図など、同社の競争力の源泉となる情報を盗み出していました。被害総額は推定で3000万円を超えました。
PR TIMESが実施する対策から学ぶべきポイント
PR TIMESが発表した再発防止策は、個人や中小企業にとっても参考になる重要な対策が含まれています:
1. 多要素認証の必須化
同社はログイン時の2段階認証を全ユーザーに義務付けました。これは最も効果的なセキュリティ対策の一つです。パスワードが漏洩しても、追加の認証要素があることで不正アクセスを大幅に防げます。
2. パスワードポリシーの厳格化
文字数と入力規則の厳格化により、総当たり攻撃への耐性を高めています。現在でも「password123」や「会社名+年度」といった脆弱なパスワードを使用している企業は驚くほど多いのが現実です。
3. ログ監視の強化
ログイン通知とログイン履歴の取得・保存により、不審なアクセスを早期発見できる体制を構築しています。これは攻撃の早期発見において極めて重要な要素です。
個人・中小企業が実践すべき具体的対策
私がCSIRTとして数多くのインシデント対応を行ってきた経験から、以下の対策を強く推奨します:
基本的なセキュリティ対策の徹底
まず重要なのは、アンチウイルスソフトの導入と定期更新です。多くの攻撃は既知のマルウェアから始まります。私が調査した中小企業の事例では、約7割がアンチウイルスソフトの期限切れまたは未導入状態でした。
特に、以下のような状況の企業では早急な対策が必要です:
- Windows Defenderのみに頼っている
- 無料版のアンチウイルスソフトを使用している
- 更新を忘れがちで最新の脅威に対応できていない
リモートワーク環境の保護
コロナ禍以降、リモートワークが普及した結果、家庭のネットワーク経由での攻撃が増加しています。公衆Wi-Fiや家庭用ルーターの脆弱性を狙った攻撃は特に深刻です。
実際に私が担当した事例では、社員が自宅の不安定なWi-Fi経由で社内システムにアクセスしていたところ、同じネットワークに接続していた攻撃者に通信を傍受され、認証情報を盗まれるケースがありました。
このような状況を防ぐため、VPNの利用は必須です。特に以下のような場面では:
- カフェや駅などの公衆Wi-Fi利用時
- 自宅から会社システムへのアクセス時
- 出張先や外出先からの業務時
データ管理とバックアップ戦略
PR TIMESが実施した「削除データの保持期間を30日に設定」という対策は、データの最小化原則に基づく重要な施策です。不必要なデータを長期間保持することは、それだけリスクを増大させます。
また、定期的なバックアップの実施も欠かせません。ランサムウェア攻撃を受けた場合、適切なバックアップがあれば身代金を支払うことなく業務を復旧できます。
中小企業の実際のサイバー攻撃被害事例
参考までに、私が最近担当した中小企業の被害事例をいくつか紹介します(企業情報は匿名化):
事例1:建設業B社(従業員15名)
フィッシングメールによる認証情報窃取から始まり、会計システムに侵入された事例。攻撃者は3ヶ月間にわたって取引先への支払い情報を改ざんし、総額800万円を詐取。発見が遅れた理由は、ログ監視体制が整っていなかったため。
事例2:小売業C社(従業員30名)
従業員の私用PCがマルウェアに感染し、そこから社内ネットワークに侵入された事例。顧客の個人情報約5000件が漏洩し、個人情報保護委員会への報告が必要となった。損害賠償や信用失墜により、事業継続が困難な状況に。
事例3:IT企業D社(従業員50名)
公衆Wi-Fi経由でのなりすましアクセスにより、開発中のソフトウェアのソースコードが窃取された事例。競合他社に類似製品を先行リリースされ、市場機会を失った。推定損失は1億円超。
今すぐ実行すべきチェックリスト
以下のチェックリストを参考に、自社のセキュリティ状況を確認してください:
基本対策
- □ 全端末にアンチウイルスソフトがインストールされ、最新状態を維持している
- □ OSとソフトウェアの自動更新が有効になっている
- □ 管理者権限の使用を最小限に制限している
- □ 定期的なデータバックアップを実施している
認証・アクセス制御
- □ 重要システムに多要素認証を導入している
- □ パスワードポリシーを策定し、定期的な変更を義務付けている
- □ 不要なアカウントを定期的に削除している
- □ アクセスログを記録・監視している
ネットワークセキュリティ
- □ ファイアウォールが適切に設定されている
- □ 外部からのリモートアクセスにはVPNを使用している
- □ 無線LANのセキュリティ設定が適切である
- □ ネットワークセグメンテーションを実施している
まとめ:プロアクティブなセキュリティ対策の重要性
PR TIMES事件は、どれほど大手企業であってもサイバー攻撃の脅威から完全に逃れることはできないことを示しています。しかし、同時に適切な対策を講じることで被害を最小化し、迅速な復旧が可能であることも証明しています。
個人や中小企業にとって重要なのは、「攻撃を受けること」を前提とした防御戦略を構築することです。完璧なセキュリティは存在しませんが、多層防御により攻撃者の侵入を困難にし、仮に侵入されても被害を最小化することは可能です。
特に、アンチウイルスソフトとVPNは最も基本的でありながら効果的な対策です。これらの導入により、大部分の一般的な攻撃から身を守ることができます。
サイバーセキュリティは一度対策すれば終わりではなく、継続的な改善が必要な領域です。攻撃手法は日々進化しており、それに応じて防御策も進化させていく必要があります。
今回のPR TIMES事件を他山の石として、自社のセキュリティ体制を見直し、必要な対策を迅速に実行することをお勧めします。サイバー攻撃による被害は、金銭的損失だけでなく、長年築き上げてきた信頼や事業継続性にも深刻な影響を与える可能性があることを忘れてはいけません。