信頼される組織でも起こりうる内部不正の恐怖
2025年11月、大阪府警で発生した情報漏洩事件は、組織内部のセキュリティ体制の脆弱性を浮き彫りにしました。警部補が虚偽の「捜査関係事項照会書」を作成し、個人情報を不正に取得していたこの事件は、どんなに信頼される組織であっても内部不正のリスクは存在することを示しています。
私がフォレンジックアナリストとして様々な組織のインシデント対応に携わってきた中で、最も対策が困難なのが「内部不正」です。外部からの攻撃は技術的な対策で防げることが多いのですが、正規の権限を持つ内部者による不正は発見が遅れがちで、被害も深刻化しやすいのが現実です。
今回の事件の詳細分析
本事件では、羽曳野署の警部補草川亮央容疑者(56歳)が以下の手口で不正を行いました:
- 虚偽の「捜査関係事項照会書」を作成
- 区役所などに計5回照会して個人情報を取得
- 元警察官の行政書士に口座情報を漏洩
- 私的な目的で50代女性の個人情報を収集
特に注目すべきは、容疑者が刑事課知能犯係に勤務していたという点です。サイバー犯罪や知能犯罪の捜査に従事する立場の人物が、まさにその専門知識を悪用した形となっています。
内部不正が企業に与える深刻な影響
内部不正による情報漏洩は、企業にとって致命的な損害をもたらします。私が過去に対応した事例では、以下のような被害が発生しています:
実際の被害事例
事例1:中小IT企業での内部不正
退職予定の開発者が顧客データベースを持ち出し、競合他社に売却。顧客情報約5,000件が流出し、損害賠償請求と信用失墜により会社が倒産寸前まで追い込まれました。
事例2:製造業での技術情報漏洩
研究開発部門の主任が、10年かけて開発した製品の設計図を海外企業に販売。数億円の開発費が無駄になり、競争優位性を完全に失いました。
これらの事例に共通するのは、「信頼していた内部の人間による裏切り」という心理的ショックと、「正規の権限で行われたため発見が困難だった」という技術的課題です。
内部不正の兆候を見逃すな
フォレンジック調査の経験から、内部不正には以下のような前兆があることが分かっています:
- 勤務時間外のシステムアクセス増加
- 通常業務に不要なファイルへのアクセス
- 大量のデータダウンロードやコピー行為
- USBメモリなどの外部デバイス使用頻度の増加
- セキュリティルールに対する軽視的な発言や行動
効果的な内部不正対策とは
組織の内部不正を防ぐには、技術的対策と人的対策の両面からアプローチが必要です。
技術的対策
1. アクセスログの監視強化
誰がいつ何のデータにアクセスしたかを詳細に記録し、異常なアクセスパターンを検知するシステムの導入が重要です。アンチウイルスソフト
のような統合セキュリティソリューションは、このような監視機能を提供しています。
2. データ漏洩防止(DLP)システム
機密データの社外持ち出しを技術的に防止するシステムです。特にメールやUSB経由での情報持ち出しを監視・ブロックできます。
3. 特権アカウント管理
管理者権限を持つアカウントの使用を厳格に管理し、必要最小限の権限のみを付与する仕組みが必要です。
人的・制度的対策
1. 定期的なセキュリティ教育
従業員に対して、情報セキュリティの重要性と内部不正のリスクについて定期的な教育を実施することが重要です。
2. 内部通報制度の整備
同僚の不審な行動を報告しやすい環境を作り、早期発見につなげます。
3. 退職者対策
退職が決まった従業員に対しては、特に注意深い監視が必要です。アクセス権限の段階的な削除や、重要データへのアクセス制限を行います。
個人・中小企業でもできる現実的な対策
大企業のような高額なセキュリティシステムを導入できない個人や中小企業でも、以下の対策は実践可能です:
最低限の技術的対策
1. エンドポイントセキュリティの導入
各端末にアンチウイルスソフト
をインストールし、不正なファイルアクセスやデータ持ち出しを監視します。現在の製品は、単純なウイルス対策だけでなく、行動分析による異常検知機能も搭載しています。
2. VPN使用時のセキュリティ強化
リモートワーク環境では、VPN
を使用して通信を暗号化し、外部からの盗聴リスクを軽減します。また、VPN接続時のアクセスログも重要な監視対象となります。
3. Webサイトの脆弱性対策
自社のWebサイトが攻撃の入り口となることを防ぐため、定期的なWebサイト脆弱性診断サービス
の実施が重要です。内部不正者が外部の攻撃者と結託するケースもあり、外部からの攻撃経路を塞ぐことも内部不正対策の一部です。
運用面での工夫
1. 最小権限の原則
従業員には業務上必要最小限の権限のみを付与し、定期的に権限の見直しを行います。
2. 二人以上でのチェック体制
重要なデータへのアクセスや変更は、必ず複数人でのチェックを義務づけます。
3. 定期的なセキュリティ監査
外部の専門家による定期的なセキュリティ監査を実施し、内部統制の状況を客観的に評価します。
事件から学ぶべき教訓
今回の警察内部での情報漏洩事件は、以下の重要な教訓を私たちに与えています:
1. 組織の信頼性と個人の倫理は別問題
警察という高い信頼性を持つ組織であっても、個人レベルでの倫理観の欠如は防げません。組織全体の信頼に頼るのではなく、個人の行動を監視・制御する仕組みが必要です。
2. 専門知識を持つ者ほど危険
容疑者が知能犯係に所属していたように、セキュリティや捜査の専門知識を持つ人物ほど、その知識を悪用した場合の被害は深刻になります。専門部署の人員には、より厳格な監視体制が必要です。
3. 内部者同士の共謀リスク
今回は現職警察官と元警察官の共謀でした。組織内外のネットワークを悪用した共謀型の内部不正は発見が特に困難であり、継続的な監視が重要です。
まとめ:内部不正対策は企業の生命線
内部不正による情報漏洩は、外部からのサイバー攻撃以上に深刻な被害をもたらす可能性があります。今回の事件は、どんなに信頼される組織であっても、適切なセキュリティ対策なしには内部不正を防げないことを示しています。
個人事業主から大企業まで、規模に応じた内部不正対策の実装が急務です。技術的な対策だけでなく、組織文化や制度面からのアプローチも含めた包括的なセキュリティ体制の構築が、これからの時代には不可欠となるでしょう。
特に中小企業では、限られた予算の中で効果的な対策を実施する必要があります。アンチウイルスソフト
やVPN
のような比較的導入しやすいセキュリティツールから始めて、徐々に対策レベルを向上させていくことをお勧めします。
内部不正は「まさか自分の会社では」と思いがちですが、統計的には多くの組織で発生しているのが現実です。今回の事件を他人事と捉えず、自組織のセキュリティ体制を見直す良い機会として活用していただければと思います。

